食堂車

kimikoishi2007-07-12

わたしが子供のころの話です。

わたしはその日、東京から新大阪に向かふ新幹線に乗つてをりました。たつた一人でです。

シンカンセンはすべるやうに走つてをりました。

車掌さんが巡回にやつてきました。

わたしが一人で座つてゐるので、一人かい?と車掌さんは聞きました。

はい。ひとりです。

と、わたしは大真面目に答へました。なんとも誇らかな気持ちで、さう答へたのでした。自分は一人旅ができるのだと誇りたいやうな気持ちだつたに違ひありません。

車掌さんはうなづいて、去つてゆきました。

誇らかついでに、わたしは食堂車に行つてみようと思ひました。なんといふ生意気な餓鬼でありませう。いまのわたしなら、弁当で済ませてしまふところです。でも、その時のわたしは、食堂車でおとなのやうに食事をしてみたかつたのです。

長い通路をはるばるとたどつて、やうやく食堂車につきました。食堂車はがらがらに空いてをりました。

わたしは丸椅子に座ると、メニューを見ました。

カレーライス ¥500

といふのが目にはひりました。それが一番安いたべものでした。

高いなあと思ひましたが、そこはおとなのつもりで、高いなあといふ顔は見せずに、余裕の表情をつくります。そして、食堂車の若いお姉さん(といつても、そのころのわたしの倍以上の年齢だらうといふ女性)に、五百円札を取り出すと、カレーライスを下さいと頼みました。

お姉さんは椅子に座る餓鬼を見て、きつとあとからその餓鬼の両親なりが来るに違ひないと思つてゐたでせうから、一瞬たまげたやうな表情をしましたが、すぐににつこりと笑つて、

はい。カレーライスですね。

と、答へてくれました。さうして、五百円札を受け取ると、水を注いだコップをくれて、厨房にはひつてゆきました。

わたしは大いに満足して、食堂車の壁にある速度計を見ました。今もあるのかどうかはしりませんが、当時は食堂車の壁に速度計がありました。速度計の針は時速200キロ前後を示していました。

シンカンセンの速さに満足して、わたしはコップの水を飲みながら、カレーライスを待ちました。

しばらくすると、お姉さんが厨房の奥から出てきました。

手には、カレーライスのはひつた紙の皿があります。

銀の皿にごはんが盛つてあり、アラビアンナイトに出てくるランプのやうな銀のいれものにカレーがはひつてゐるやうなものを想像してゐたので、紙の皿には少々がつかりしましたが、お姉さんがにつこりわらつてくれたので、がつかりした顔は見せないやうにしました。

さて、カレーライスは紙の皿にプラスティックのスプーンではありましたが、真つ赤な福神漬けも少し添へられてをり、なかなかおいしさうです。

空腹のわたしはさつそくカレーライスをたべてみました。

ああ。なんとおいしい。

それは実に甘美な味でした。たべたことのない上等な味がします。

わたしは窓の外に流れる時速200キロの光景を併せて堪能しながら、カレーを楽しみました。

入れ物はいただけませんが、このカレーはなかなかのものです。わたしはすつかり満足しました。

ふと見ると、厨房の奥でさつきのお姉さんが作業をしてゐるのが見えました。お姉さんは背を向けて、なべからなにかをつまみあげてゐました。

どうやら、白くて四角い袋のやうです。

??

わたしはその袋の上に文字が書かれてゐるのを見つけました。

??

そこには、赤い文字で「業務用 ククレカレー」とかいてありました。

わたしは見なかつたふりをして、カレーの残りをなめるやうにしてたべつくしました。

おいしかつたから、まあいいではないか。

さう思ふことにしました。

食堂車を出ると、わたしに一人かい?と聞いた車掌さんに出くはしました。

こつちにおいで。

と車掌さんがいふので、わたしはついてゆきました。

車掌さんはグリーン車にわたしをつれてゆきました。グリーン車といへば一等車です。餓鬼が足を踏み入れてよいところではありません。わたしは少々緊張しました。

グリーン車はすいてゐました。

サングラスをかけた外人などが座つてゐます。外人のほかには、でつぷりと太つた偉い感じの人が座つてゐました。とても近寄りがたい人たちばかりです。

グリーン車に乗つたことはないだらう?

車掌さんが言ひます。わたしはうなづきました。

ぢやあ、座つてゐてもいいよ。

おお。なんと絶好の機会でありませう。生意気にも、わたしは新大阪までグリーン車に乗ることができたのでした。あの時の車掌さんに、わたしはちやんとお礼を言つたでせうか。昂奮して、ちやんと言へなかつたのではないかと思ひます。

からし色の椅子と、黄色いやうな遮光ガラスのグリーン車は、さつきのカレーのおまけかもしれないな、と思ひました。

大きすぎるからし色の椅子に包まれて、黄色いやうな窓を食ひ入るやうに見つめました。

シンカンセンは轟々と田畑の中を駆け抜けてゆきます。

環島旅行

kimikoishi2007-06-27

交通部台灣鐵路局は、いはば台湾の鉄道省、もしくは国鉄のやうなものです。「台鐵」と略して呼ばれるやうです。

この台鐵の台東行きの汽車に、わたしは乗つてをりました。わたしが目指してゐたのは、花蓮といふところです。花蓮は多くの台湾人観光客、そして日本人観光客が訪れる街で、首都台北から南に向かつて汽車で三時間ほどのところにあります。

わたしは南のはうにある高雄といふ台湾二番目の首都のやうな街から、北上する形で花蓮に向かつておりました。

台東はその高雄と花蓮の間にある街です。わたしは台東で、また汽車を乗り継いで花蓮に向かふ予定でした。

台東行きの汽車は一番安い普通列車で、冷房のない車両でした。目に鮮やかな藍色をしてゐます。高雄から台東は熱帯地域ですから(台北は亜熱帯)、とても暑いのです。わたしが訪れたのは五月ですが、熱帯の五月はもうすつかり夏でした。

扇風機がまはつてゐますが、あまり効き目はなく、実に暑いです。一寸大袈裟ですが、あたかもサウナにはひつてゐるやうです。わたしは窓をすつかり開け放つて、檸檬水を飲みました。
これは冷房のある列車に乗るべきだつたかな、と多少後悔しましたが、切符を買つてしまつたので後の祭りです。

汽車はごとごとと走ります。走つてゐる間は風がはひつてくるので、なかなか気持ちがよいのです。もつとも、照り付けてくる太陽の光は熱帯らしく厳しいものです。

でも、景色はなかなかすばらしく、空は真つ青で、樹木は濃い緑色で、真つ青な海もあつて、水平線の上にはどこかの小さな島がのつかつてゐます。世界の車窓からといふテレビ番組がありますが、そこでぜひ取り上げてもらひたいと思ふくらゐ、素晴らしい南国の風情です。

汽車はごとごとと走つては、やがて駅に止まります。

駅には、なぜか野良犬がゐるところが少なくないやうで、駅員と一緒に仕事をしてゐます。プラットホームの中にまではひつてきます。わたしはビスケットをやりましたが、犬は仕事中なので、たべませんでした。

ふと見ると、若い女性が三人で、駅の名前が書かれた看板と一緒に記念撮影をしてゐます。

駅名を見ると「加碌」とあります。

なるほど、「加禄」とはお金が増える、お金持ちになるといふ意味だから、記念撮影をしてゐるのだな、と思ひました。

汽車はすぐに出発です。三人の女性はあわてて汽車に乗つてゐました。

汽車はまた青い青い空と海と、緑色の山や樹木の間を縫ふやうに走ります。

青い色と緑色の間を、藍色の汽車がゆくのです。これはなかなか面白いと、暑さも忘れて、景色に見入つてをりました。

汽車はやがて、また駅に止まります。

すると、先の女性三人が又記念撮影をしてゐます。

駅名を見ると、なんでもない名前です。縁起を担ぐやうな意味はありません。

汽車はすぐに発車です。車掌が汽車が出るぞと叫んでゐます。三人はあわてて汽車に乗り込みます。

その謎の行動は、次の駅でも繰り返されたのです。

わたしは三人に何をしてゐるのか、尋ねてみました。

すると、三人は台湾の基隆(台北の少し東にある港街)を出発して、半時計回りに台湾を鉄道で一周してゐるといふのです。

台湾は果実のやうな楕円形の島で、鉄道を使つて外側をくるりと一周することができます。山手線のやうに丸くつながつてゐるのです。わたしは一周したことはないのですが。

そして、なんと全部の駅で降りて、駅名の書かれた看板と共に、記念撮影をしてゐるといふではありませんか(さういへば、タモリ倶楽部といふテレビ番組に、日本国内の鉄道の全ての駅に降りたといふ奇特なをぢさんが出てゐたことがありました)。

台鐵の駅は全部でどれだけあるか知らないのですが、いくら台湾が小さな島でも、百や二百の駅はあるでせう。わたしは大いに驚きました。

さうして、台東までの二時間、三人は駅に止まる度に、急いで記念撮影をして、あわてて汽車に乗り込むといつた一連の動作を繰り返してゐました。

その記念撮影の合間合間、すなはち汽車が走つてゐる間に、いろいろと話をすることができましたが、なぜそんな旅をしてゐるのかとわたしが尋ねたら、こんな風に答へてくれました。

平凡の日常と瘋狂の非日常は表裏の関係にあって、今はその非日常の旅をしてゐるんです。

なるほど、藍色の汽車は、その表裏の間を走つてゐるのだと思ひました。

採檳榔

kimikoishi2007-06-24

4月5日の日記で
http://d.hatena.ne.jp/kimikoishi/20070405
で「採檳榔」といふ歌のことを書きました。

この歌は周璇や訒麗君も歌つてゐて、もともとは中国湖南省の民謡ださうです。軽快な曲調で、わたしはとても気に入つてゐます。

高高的樹上結檳榔
誰先爬上誰先嘗
少年郎 採檳榔
小妹妹提籃抬頭望
低頭想又想
他又美 他又壯
誰人比他強
趕忙來叫聲我的郎呀
青山高呀流水長
那太陽已殘
那歸鳥在唱 叫我倆趕快回家郷*1

「檳榔」(ビンラン)はインド、フィリピン、中国南方や台湾など南方の地域で多く見られる植物です。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AA%B3%E6%A6%94
見た目は細い椰子のやうな感じです。とても背の高い植物で、上のほうに実がなります。

檳榔の実はとても人気があり、これを売ると結構な稼ぎになります。そこで、高い高い椰子のやうな檳榔の樹に登つて、実をとるわけです。

檳榔の実は、フルーツではありません。食べ物ではなく、嗜好品なのです。台湾の町の檳榔屋さんでは、写真のやうに、実を葉つぱでくるんだものが売られてゐます。葉つぱと檳榔の実の間には、少量の石灰が這入つてゐます。五個で五十元(日本円で百八十円くらゐ)が相場です。

これを、葉つぱごとぐしやぐしやとガムのやうにかみつぶすのです。

わたしはこの檳榔にたいそう興味をもちました。檳榔は台灣の町のあちこちで売られてゐます。

でも、あまりきれいな店はなく、また高層の建物が立ち並んでゐるやうなきれいな大通りで堂々と売られてゐることはありません。どちらかといふと、ごちやごちやした通りで売つてゐます。

檳榔売りの特徴は、看板のあたりに、三本の細長いネオンが手の指のやうに配置されて、緑色に光つてゐることです。どれもこれも小さな店で、店をのぞいてみると、たいてい中年夫婦が一生懸命に、せつせと葉つぱに檳榔の実をくるんでゐる光景に出会ひます。

お店によつては「檳榔西施」と言はれる、露出度の高い服装をした若い美人がガラスウィンドウ越しに座つてゐるところもあります。一寸、気軽には買ひにくい雰囲気です。外国人にはよく売春屋と間違へられるさうです。

また、お店によつては「檳榔」と看板にあるものの、煙草を売つてゐるだけで、肝心の檳榔を堂々と置いてゐないところもあります(言へば出てくるらしいのですが)。

ちなみに檳榔は違法ではありません。ただ、購入者はどちらかといふと貧しい階層の人が多いやうです。美観を損ねるといふ理由で、檳榔を苦々しく思つてゐるひとも多いやうで、排撃の声が高まつてゐます。発癌性も指摘されました。

ある意味、煙草に似たところがあります。他人に健康被害を与へない点では、檳榔のはうがましのやうに思へるのですが、あまり、買つて誇ることのできるものではないやうです。煙草は依然として、若者が大人ぶるアイテムとしての力をもつてゐますが、檳榔にはそんなものはないやうです。

ただ、檳榔は台湾の一大産業でもあり*2、美観を損ねるからと言つて、簡単に廃業させるわけにはゆかぬやうです。なんと、檳榔は日本にも輸出されてゐるさうです(染料として使ふのでせうか?)。

わたしは台湾の友人に檳榔のことを尋ねてみました。しかし、檳榔などは台湾の恥部のやうなものだとあしらはれました。もう一人に聞くと、ぜひぜひやつてみるといいですよ。と薦められました。でもそれは、変はつたものだから、ぜひぜひといふ感じでした。微妙な反応から見て、変なものであることはたしかなやうです。

なにより美観を損ねるといふ理由で、檳榔は嫌はれてゐるやうです。また、女性が嗜まない理由もそこにあるやうです。とにかく問題は、この檳榔の作法にあるのです。

*1:高い高い樹にビンランの実がなりました 誰が先によぢ登つて、誰が先に味はふのでせう 男の子がビンランをとります 女の子はかごを頭にかかげて見上げてゐます 頭をさげて女の子は思ひます 彼は美しいし強い 他の誰が彼に勝るでせう 急いでわたしの好きな人に声をかけます 青い山は高く水の流れは長い 太陽もまだ残つてゐます 巣に帰る鳥は歌つてゐます わたしたちも早く帰りませう(直訳は、わたしたちも早く帰らせて)

*2:http://72.14.235.104/search?q=cache:I7a7SOxHwFcJ:www1.stat.gov.tw/public/Data/512614331671.doc+%E6%8E%A1%E6%AA%B3%E6%A6%94&hl=ja&ct=clnk&cd=18&gl=jp

漢字

kimikoishi2007-06-17

漢字にはいくつか種類があります。

1、正字、正漢字、旧漢字
2、新字、新漢字
3、異体字
4、略字
5、中華人民共和国シンガポール簡体字
6、中華民國(台灣、共和国以前の中国)、香港の繁体字

他にもあるかもしれません。ベトナムにも漢字があったのでしたっけ。わたしはそのあたりのことはよく知りませんので、知っている方がいらっしゃいましたら、教えていただけましたら幸いです。

は、江戸以前から戦前まで使われていた漢字です。ただし、江戸時代とそれ以前の時代では、『康煕字典』などにある、また中国のさまざまな本から借用した多くの異体字が使われていましたので、旧漢字とは、明治初期から戦前まで使われていた漢字、と考えるべきでしょう。

明治初期に、平仮名を基本的に一音一字にしました。すなわち、変体仮名を排したわけです。たとえば、今は「な」は「な」としか書きませんが、本当はもっと多くの書き方がありました(くずし字事典のようなものをごらんになってみてください)。これらは変体仮名として教育の世界では廃止されました。その影響を受けて、活字としても徐々に消滅してゆくことになります。

ただし、戦前期には、変体仮名も、活字としては少ないものの(明治期には変体仮名の活字も多くありました)、書き文字として普通に通用していました。

この平仮名の整理と平行して、異体字も多く廃止されました。戦後の改革の時と同様に、明治初期にも漢字の整理が行われていたわけです。

は、戦後に定められて以来、今に至るまで使われている漢字です。ただし、そのうちのいくつかは、戦前に、すでに「簡化字」として提唱されていたものを採用しています。

また、戦前に、生活の中で使われていた書き文字としての略字も採用されました。したがって、戦後に全部が新しく作られたわけではありません。

は、たとえば、水戸光圀水戸黄門)の「圀」のようなものを異体字と言います。圀=国なのですが、これは則天武后が勝手に作った則天文字です。

名前の字で「高」(⇒はしごの高)や「吉」(⇒上が土の吉)を少し変化させた字を使っている方が時々いますが、これも異体字です。大きな辞書でないと載っていないような膨大な量の異体字があるわけですが、これは旧漢字ではありません。

旧漢字とは、これらの異体字を排したものを言うわけですが、実は異体字のほうが「正しい」漢字とされる可能性もあったということになります。

は、そのうちの多くが戦後に新漢字として採用されました。旧漢字は画数が多いので、書く時には略した漢字を使っていたわけです。

戦前には、たとえば「学」「国」などは活字にはありませんが、一般的には書き文字として多く用いられていました(「国」の「玉」は、戦前の略字では「玉」ではなく「王」でしたが)。

新漢字として採用されなかったものの、最近になってパソコンの活字として採用された略字に「侭」などがあります。

簡体字は、中華人民共和国成立後に制定されたものです。日本の略字以上に大幅に略されたものが多く、書くのが大変楽です。たとえば、「無」は「无」と、「気」は「气」と書きます。

シンガポール簡体字は、中国の簡体字をそのまま受け入れたものです。

繁体字は、共和国以前の中国、現在の台湾、香港、韓国(ほとんどハングルになっていますが)が使っているものです。日本の旧漢字とほとんど同じなのですが、完全に同じではありません。

たとえば、「衆」という字は、かならずしもこの形ではありません。

わたしはなにか文字を書く時は、上の六つの中から一番書くのが楽なものを選んで書いています。そんないい加減なことをしていますので、手書きで手紙を書いたりするときは一苦労です。

好みとしては旧漢字、繁体字が好きです。ですから、わたしにとって台灣は漢字天国です。個人的な趣味判断にすぎないのですが、デザインが新漢字や簡体字より美しいと思います。

入隊

kimikoishi2007-06-16

某日余ツラツラ思フニ、此儘碌々タル生ヲ終ヘムハ餘リニ悲シク、然リト雖モ、改メテ業ヲ興サンニハ、心身ノ健壯ヲ早急ニ復舊セザレバ、到底爲ス能ハザル事ニ思ヒ至ル。然ルガ故ニ、余此處ニ於テ、遂ニ「入隊」ヲ決意スルニ至レリ。



入隊先ハ憲兵隊……デハナク、「ビリーズブートキャンプ」ナリ。



之ハ痩身ガ爲メニ非ズ。克己復禮ノ爲メナリ。

しかし、五十五分の間、まつたく休まずに運動したのは久しぶりのことです。一時間、うろうろ歩くことはありますが、同じところで、運動したのはほんたうにひさしぶりでした。

ビリーの魅力にしびれました。しかし、翌日、腹筋もしびれました。

魯肉飯

kimikoishi2007-06-11

魯肉飯(ルーローファン)は台湾ではいたるところでたべることができます。

日本で云ふところの牛丼みたいなものでせうか。ラーメンみたいなものでせうか。そのくらゐの人気のたべものです。

魯肉飯はどんなものかといふと、ご飯の上に、香料で煮込んだ豚のひき肉がのつたものです。味付けは醤油味で台湾独特の香料のかをりがします。五香粉を使つてゐるさうです。

台湾南部(高雄)では、ひき肉ではなく、脂身のついたバラ肉を線状に切つてのせたところもありました。

魯肉飯はとても安く、どこでも30元(日本円で110円くらい)ほどです。台湾は野菜と肉が豊富な外食を安価で楽しむことができる国ですが(台湾の平均所得に比べても、外食は安いです)、魯肉飯は他の料理に比べても安い食べ物です。そんなところも日本の牛丼の位置に近いと云へるかもしれません。

日本に戻つても、わたしはこの魯肉飯がたべたくてしかたがありませんでした。ちやうど、牛丼や拉麺がにはかにたべたくなるやうにです(ここ一年ほどは、どちらもたべてゐないのですが)。

ところが先日のことです。わたしはふと立ち寄つたお店(99といふお店)で、写真にあるやうなものをみつけました。

おお。魯肉飯。

ルーロー飯と書くと、なんだかお化けでもはひつてゐさうな感じですが(香港の映画に「チャイニーズ・ゴーストストーリー」(「倩女幽魂」)といふのがありました。そこに妖怪のをばさんが出てくるのですが、たしかロウロウといふ名でした。とつても怖いをばさんです)、さつそく買つてみました。

お茶を入れて、さつそくかぢりついてみました。結果は・・・なかなかおいしかつたのですが・・・これは豚のそぼろご飯でした。

麥當勞

kimikoishi2007-06-07

「麥當勞」mai-dang-lao、マイタンラオ。なんのことでせう?

これは中国語なのですが、実はマクドナルドのことです。

マイタンラオとマクドナルドはどう聞いても音が違ふのですが、中国語には、日本語のカタカナのやうな表音記号はありませんので、こんな風に無理やりな音訳をせざるを得ないのです。

もつとも、カタカナやひらがなのやうな視覚上の雑音がないために、同じ大きさの字がきれいにそろつた中国語は、見た目がとてもきれいです。

カタカナやひらがなは、漢字と並ぶと、どうも乱れた感じになります。もともと、草書で用ゐられたもので、一連に繋げて記されるべきものであつただけに、活字にして並べると、なんとなく冴えない感じになつてしまふのでせう。

冴えない感じだと思ふのは、わたしだけかもしれないので、まあそのことは置いておくことにします。ある日のことです。わたしは台灣西部の町、彰化にをりました。

彰化の町を歩いてをりますと、「麥當勞」をみつけました。お馴染みのMマークが目にはひつたのです。

さんざん歩いてくたびれてゐたわたしは、そこで、少し休憩することにしました。

お店のお姉さんに、わたしは熱珈琲を頼みました。

水の合はない国で飲み物を頼むには、冷たいものより熱いものを頼んだはうが安全です。もつとも、世界的なチェーン店である麥當勞なら、冷たい飲み物に生水をそのまま使ふことはないのかもしれませんが、わたしは身体頑健ではないので念のためです。

熱珈琲を受け取つて30元を支払いました。これは日本円で108円くらゐです(飲み物はどこでも大体このくらゐの値段です)。

わたしはあまり期待はしてゐなかつたのですが、珈琲をすすつてみて驚きました。

なんともおいしいのです。

わたしは日本のマクドナルドで珈琲を飲むこともありますが、申し訳ないのですが、そちらはおいしいと思つたことはありません。

日本人は外食産業に騙されてゐるのではないか? 「餌」に慣らされてゐるのではないか?

外国で食事をすると、わたしはたびたびそんな風に感じます。

もつとも、日本のマクドナルドの珈琲の場合は、その分値段を下げてゐるのですから(現在は百円)、軽々に文句をいふべきではないのですが。

日本では、安くておいしいものを求めることがとても困難です。それは、物価が高いといふことでは済まされない問題があると思ひます。

それは、日本人は生活を楽しんではいけないと、どこかで思つてゐるのではないでせうか? いや、思はされてゐるのではないでせうか?

日本の実写版ドナルドと違つて、青い目をした台湾の実写版ドナルドを見ながら、わたしはそんな風に思ひました。